2008年06月21日

妖怪[おとら狐]

妖怪事典おとら狐


おとら狐(おとらぎつね)とは、愛知県に伝わるキツネ|狐の妖怪。



概要

おとら狐は人間に取り憑き、様々な悪戯する妖怪で、取り憑かれた人間は常時では考えられない言動を行う。「おとら狐」の語源はおとらという娘に狐が取り憑いたことから。狐憑きの地方版と考えられる。取り憑かれた者は左眼から眼脂を流し、左足がうずくように痛むと言う。これは、かつて長篠の合戦において鉄砲の流れ弾を受けた為と言い伝えられている。憑かれる者の多くは病人であり、憑かれると長篠の合戦のことや自分の身の上をよく語るようになるともいう村上健司編著 『妖怪事典』 毎日新聞社、2000年、84頁。ISBN 4-620-31428-5。おとら狐が人に憑くのは、本来長篠城の稲荷神|稲荷社の使いであったおとら狐が、長篠の合戦後に社を放置されたことを恨んでいるためといい、後にそれを鎮めるために長篠城の勝 ki.0p2Y$Kおとら狐が祀られたと伝えられる。現在では社は、愛知県新城市の大通寺に移されている宮本幸枝・熊谷あづさ 『日本の妖怪の謎と不思議』 学習研究社、2007年、65頁。ISBN 4-056-04760-X。



主な伝承

愛知県の郷土研究社が1916年に出版した『郷土研究』にはおとら狐に取り憑かれた人間のさまざまな様子が伝承として記録されている。

  • 老人がおとら狐に取り憑かれた。歯が無いのに生魚をバリバリと食べていた。

  • 寝たきりの老婆におとら狐が取り憑き、一晩中踊り明かした翌朝に亡くなった。

  • 病気療養をしていた母におとら狐が取り憑いた。排泄物には与えていない物が入っていた。また、同書にはおとら狐を取り除く方法として、陰陽師や修験者による祈祷か、秋葉山の奥に住む山住様(御犬様)を迎えてくると良いと記されている。



    脚注




    外部リンク


  • 国際日本文化研究センター怪異・妖怪伝承データベース

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    2008年06月20日

    妖怪[百々目鬼]

    妖怪事典百々目鬼


    『今昔画図続百鬼』より「百々目鬼
    百々目鬼(とどめき、どどめき。百目鬼(どうめき)とも)は、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』(巻之下 明)に記された妖怪。盗癖のある女性の腕に、盗んだ鳥目(金銭)の精が鳥の目となって無数に現れたのでこれを百々目鬼と呼んだ、とある。また、「鳥目」は、別に「御足」と呼ばれることもあり、「足が付く」という洒落から出来た妖怪と言う説もある。また、栃木県宇都宮市には藤原藤太秀郷が百目鬼と呼ばれる鬼を退治したとする伝承がある。秀郷に致命傷を与えられた鬼は本願寺の智徳上人の引導によって成仏し、その最後の地を百目鬼と呼ぶようになったという。この伝説にちなんだ百目鬼面と呼ぶ瓢箪を加工した郷土玩具があり魔除の面として親しまれている。



    百目鬼伝説

    平安時代中期、常陸国(現在の茨城県)、下総国(現在の千葉県)に領地を持つ平将門という地方領主がいた。将門は地方政治が乱れているのを嘆き、これを正して自ら新皇(天皇)を名乗るが、朝廷からは地方役所(国府)に逆らった者とみなされ全国に追討命令が出された(平将門#生涯|平将門の乱)。当時下野国の押領使であった藤原秀郷|藤原秀郷(田原藤太)はこの命令を受けて将門軍と幾度にも亘って剣を交えるが苦戦を強いられる。秀郷は下野国に戻った折、宇都宮二荒山神社|宇都宮大明神に戦勝祈願を行い一振りの聖剣を授かり、これを持って引き返し将門軍と再び戦闘を繰り広げ、ようやくこれを討ち取ることが出来た。この功績をもって、秀郷は朝廷から恩賞として国司|下野国司に任ぜられ、さらに武蔵国司・鎮守府将軍を兼務することとなった。秀郷は下野国・宇都宮市|宇都宮の地に館を築き、ある日その近くで狩りを行った。狩りの帰り道、栃木県道63号藤原宇都宮線|田原街道・大曽の里を通りかかると老人が現れ、「この北西の兎田という馬捨場に百の目を持つ鬼が現れる」ことを告げられた。秀郷が兎田に行ぁ C$FBT$C$F$$$k$H!"1/;0$D;~$N:"!"2d$+$K1@$,4,$-5/$3$j!"N>f==<\$N54$,8=$l!";`$s$@GO$K$`$7$c$V$j$D$$$?村上健司編著 『妖怪事典』 毎日新聞社、2000年、238-239頁。ISBN 4-620-31428-5。。秀郷は弓を引いて最も光る目を狙って矢を放った。矢は鬼の急所を貫き、鬼はもんどりうって苦しみながら宇都宮二荒山神社|明神山の麓まで逃げたが、ここで倒れて動けなくなった。鬼は体から炎を噴き、裂けた口から毒気を吐いて苦しんだため、秀郷にも手が付けられない状態となった。仕方なく秀郷はその日は一旦館に引き上げることとした。翌朝、秀郷は鬼が倒れていた場所に行ったが、黒こげた地面が残るばかりで鬼の姿は消えていた。それから400年の時が経って、室町幕府を立ち上げた足利氏が将軍となった時代、明神山の北側にある塙田村・本願寺の住職が怪我をするとか寺が燃えるといった事件が続いた。その中、智徳上人という徳深い僧が住職となると、その説教に必ず姿を見せる歳若い娘がいた。実はこの娘こそ400年前にぁ 3$NJU$j$GIN;`$N=E>I$rIi$C$?54$N2>$N;Q$G!"D92,$NI47j$K?H$r@x$a=! }IU$$$?B N$,L~$($k$N$rBT$A!"L<$N;Q$K?H$rJQ$($F$O$3$NIU6a$rK,$l$F!"e?M$O$=$l$r8+GK$j!"54$O=*$K@5BN$r8=$7$?!#54$OCRFA>e?M$NEY=E$J$k@b65$K?4$r2~$a!"FsEY$H0-$5$r$7$J$$$H>e?M$K@@$C$?$N$G$"$C$?!#$3$l0J9_!"$3$N<~JU$rI4L\54$H8F$V$h$&$K$J$C$?$H$$$&!#:#$b1'ET5\$NL@?@;3$N@>B&$K$O!VI4L\54DL$j!W$H$$$&L>>N$G;D$k!#JL@b$G$O=(6?$,54$rF$$C$?D>8e!"2P$r?a$-$D$D6l$7$`54$K=(6?$,6a$E$1$J$$$G$$$k$H$3$m$XCRFA>e?M$,$d$C$FMh$F!"?t'$($k$H!"2P$,$d$`$H6&$K54$NI4L\$,>C$($F?M4V$N;Q$H$J$C$?$N$G!"=(6?$O$=$N;`BN$r$=$NCO$KAr$C$?$H$b$$$&。栃木の民芸品の一つであるふくべ細工の鬼面は、この伝説にちなんで魔除けとして作られたものといわれる



    脚注!




    関連項目


  • 日本の妖怪一覧

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    2008年06月19日

    妖怪[茨木童子]

    妖怪事典茨木童子




    茨木童子(いばらきどうじ)は、平安時代に大江山を本拠に京都を荒らし回ったとされる「鬼」の一人。酒呑童子(しゅてんどうじ)の最も重要な家来であった。出生地には、摂津国(大阪府茨木市水尾、または兵庫県尼崎市富松)という説と、越後国(新潟県旧栃尾市、現在の長岡市の軽井沢集落)という説がある。生まれた頃から歯が生え揃っていた、巨体であったなど周囲から恐れられ、鬼と化した後は酒呑童子と出会い舎弟となり、共に京を目指した。酒呑童子一味は大江山(丹波国にあったとされるが、現在の京都市と亀岡市の境にある大枝山という説もある)を拠点にし、京の貴族の子女を誘拐するなど乱暴狼藉をはたらいたが、源頼光と4人の家臣たち(頼光四天王)によって滅ぼされたという。 しかし茨木童子は逃げ延びたとされ、その後も頼光四天王の一人である渡辺綱と一条戻り橋や羅生門で戦った故事が後世の説話集や能、謡曲、歌舞伎などで語り継がれている。



    出生




    [ 越後説 ]

    茨木童子(ここでは茨城童子とも書く)は酒呑童子と同じく越後国|越後出身との説がある。酒呑童子は蒲原郡の砂子塚(現・新潟県分水町砂子塚)生まれで国上寺の稚児だったが、茨木童子は古志郡の山奥の軽井沢(現・新潟県長岡市軽井沢)の生まれでやはり弥彦神社に預けられていた。同地には酒呑童子と茨木童子が相撲を取った場所があり、茨木童子を祀る祠がある。またこの地区は「茨木」姓が多く、茨木姓の家では節分に豆をまかない習わしがあり、また家の屋根に破風を作るとその家では不良が出るので作らないという言い伝えがあるという。美男子で知られ娘たちから山ほど恋文を送られていた外道丸こと酒呑童子同様、茨木童子も美少年として多くの女性に言い寄られ、将来を案じた母親に弥彦神社に送られることになった。と\xA1 $3$m$,$"$k;~LoI'?@:$C$F5$$r<:$$!"5$$E$/$H54$X$HJQ$o$j2L$F$F;{$+$iF($2$F0-$N8B$j$r?T$/$9$h$&$K$J$C$F$$$?!#茨木童子は舎弟となり共に周囲の村々を襲っていたが、そのうわさを聞いた母が、彼の幼い頃の産着を着けて茨木童子の前に立つと、茨木童子は急に子供の頃の想い出が甦ったか、「二度とこの地を踏まぬ」と約束して、酒呑童子とともに信州戸隠山|戸隠などを経て京へと向かった。


    [ 摂津説 ]

    酒呑童子の出生地にはほかにも伊吹山麓など有力な説があるが、茨木童子の出生地についても兵庫県尼崎市や大阪府茨木市の説もあり、『摂津名所図会』・『摂陽研説』・『摂陽群談』などの資料ではこれらを採っている。1701年刊行の『摂陽群談』では、 摂津国の富松の里(現・兵庫県尼崎市)で生まれ、茨木の里(茨木市)に産着のまま捨てられていたところを酒呑童子に拾われ茨木の名をつけて養われたとある。また『摂陽研説』では、茨木童子は川邊郡留松村(富松と同じく尼崎市の一部)の土民の子であったが、生まれながらに牙が生え、髪が長く、眼光があって成人以上に力があったので、一族はこの子を怖れて島下郡茨木村の辺りに捨て、酒呑童子に拾われたという。茨木市の伝承では、茨木童子は水尾村(現・茨木市)の生まれだが、16ヶ月の難産の末に生まれたときにはすでに歯が生え揃い、生まれてすぐに歩き出して、母の顔を見て鋭い目つき\xA1 $G>P$C$?$?$aJl$O%7%g%C%/$GK4$/$J$C$?!#Ic$O54$N$h$&$J@V;R$r;}$FM>$7!"NY$N0qLZB<$N6eF,?@!J$/$:$,$_!K$N?96a$/$K$"$kH17k$$|髪結床屋の前に捨て、以後茨木童子は子のいなかった床屋夫妻の子として育った。幼くして体格も力も大人を凌いだ童子を床屋も持て余したが、床屋の仕事を教えて落ち着かせることにした。ところがある日、童子はかみそりで客の顔を傷つけてしまい、あわてて指で血をぬぐったものの、指をきれいにしようと血をなめるとその味が癖になってしまい、以後わざと客の顔を傷つけては血をすするようになった。床屋に怒られた童子は気落ちして近くの小川の橋にもたれてうつむいていると、水面に写る自分の顔がすっかり鬼になってしまっているのに気づき、床屋には帰らずに北の丹波の山に逃げ、やがて酒呑童子と出会い家来となったと言う。その橋は「茨木童子貌見橋(すがたみばし)」と呼ばれていたが現存せず、跡地に碑が立っている。



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    酒呑童子の一味による被害があまりにも大きく、源頼光が鬼退治に行くこととなり、配下の頼光四天王(渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武)や友人の藤原保昌ら、総勢五十数名とともに大江山に向かった。山伏の姿になった一行はさまざまな人々の助けを得ながら、一晩の宿を求める振りをして酒呑童子の本拠にはいることに成功した。その晩は酒盛り上がり、深夜、酔って動かなくなった酒呑童子の一味の鬼たちを頼光らは残らず退治した。ただし、茨木童子のみは渡辺綱と戦っていたところ、酒呑童子の討たれるのを見てこれはかなわないと退却し、唯一逃げるのに成功したという。



    渡辺綱と茨木童子の戦い

    渡辺綱と茨木童子の物語は

  • 『平家物語・劔巻』

  • 『太平記』

  • 『前太平記』

  • 『源平盛衰記』
    などに出てくるほか、

  • 『御伽草子』

  • 『茨木』(歌舞伎)

  • 『戻橋』(歌舞伎)

  • 『羅生門』(能)

  • 『綱館』(長唄)
    にも登場し、それぞれ細部が異なっている。おおむね、''「渡辺綱が茨木童子の腕を切り落とすが、茨木童子は腕を取り戻しに綱の元へやってくる」''というものである。また上記の伝承を元に木原敏江が1978年タイトル「大江山花伝」で漫画化、同作は1986年宝塚歌劇団雪組本公演で柴田侑宏脚色・演出で舞台化(茨木童子役は平みち)されたほか、島田まゆが1996年タイトル「IBARAGI茨木」で舞台を現代に移して、渡辺綱の子孫である高校生と茨木童子(この作品では女性である)のエピソードを創作している。


    [ 一条戻橋 ]

    茨木童子が出現するのは、堀川にかかる一条戻橋の上というパターン。若い美女が道に困っていたため、渡辺綱が馬に乗せてやると、女は突然鬼の姿になって綱の髪の毛を掴み、空中に飛び上がって愛宕山 (京都市)|愛宕山に連れ去ろうとした。綱は慌てず名刀・髭切で鬼の腕を切って難を逃れた。綱は、切り取った鬼の腕を源頼光に見せた。頼光が陰陽師(安倍晴明だとする話もある)に相談したところ、「必ず鬼が腕を取り返しにやって来るから、七日の間家に閉じこもり物忌みをし、その間は誰も家の中に入れないように」と言われた。それから数日間、茨木童子はあらゆる手を用いて綱の屋敷へ侵入しようとするが、綱の唱える仁王経や護符の力で入ることができなかった。ついに七日目の晩になって、摂津の国から綱の伯母・真柴(伯母ではなく養母が来るという話もある)が綱の屋敷にやってきた。綱は事情を話し決して伯母を屋敷に入れなかったが、年老いた伯母は「幼いころ大切に育てた報いがこの仕打ちか」と嘆き悲しんだので綱\xA1 $O;EJ}$J$/8@$$$D$1$rGK$C$FGlJl$r20I_$KF~$l$k!#$H$3$m$,!"$3$NGlJl$O茨木童子の化けた姿だった。伯母の姿のまま、綱が切り取ったと言う鬼の腕を見たいと言い、封印された唐櫃から出されてきた腕を手にとってじっくり見ていると、突然伯母は鬼の姿に戻った。そして腕を持ったまま飛び上がり、破風を破って空の彼方に消えたという。


    [ 羅生門 ]

    『今昔百鬼拾遺』
    渡辺綱が茨木童子の腕を切り落とすのは羅生門という筋のものもある。大江山の鬼退治が終わってしばらくした頃、源頼光以下四天王たちが集った酒宴の席で、近頃羅生門に鬼が出るという話になった。#ならばと全員で度胸試しに出かけると、綱の番になって門に入ると鬼に出会ってしまい、格闘の末、鬼の腕を切り落とした。
    ・まさか鬼の生き残りがいるわけがないと思った綱が羅生門に行ってみると、そこには茨木童子(または美女にばけた茨木童子)がいて、やはり格闘の末、鬼の腕を切り落とした。その後、同様に茨木童子は姿を変え、腕を取り戻しに現れる。



    茨木童子のその後

    腕を取り戻した後の茨木童子の行方は定かではない。摂津の民話では、しばしば実家に帰った話や、実家に帰ったが追い返された話などがある。



    外部リンク


  • 怪異・妖怪伝承データベース

  • Fantapedia〜幻想大事典 茨木童子

  • 茨木童子



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    2008年06月17日

    妖怪[おとら狐]

    妖怪事典おとら狐


    おとら狐(おとらぎつね)とは、愛知県に伝わるキツネ|狐の妖怪。



    概要

    おとら狐は人間に取り憑き、様々な悪戯する妖怪で、取り憑かれた人間は常時では考えられない言動を行う。「おとら狐」の語源はおとらという娘に狐が取り憑いたことから。狐憑きの地方版と考えられる。取り憑かれた者は左眼から眼脂を流し、左足がうずくように痛むと言う。これは、かつて長篠の合戦において鉄砲の流れ弾を受けた為と言い伝えられている。憑かれる者の多くは病人であり、憑かれると長篠の合戦のことや自分の身の上をよく語るようになるともいう村上健司編著 『妖怪事典』 毎日新聞社、2000年、84頁。ISBN 4-620-31428-5。おとら狐が人に憑くのは、本来長篠城の稲荷神|稲荷社の使いであったおとら狐が、長篠の合戦後に社を放置されたことを恨んでいるためといい、後にそれを鎮めるために長篠城の勝 ki.0p2Y$Kおとら狐が祀られたと伝えられる。現在では社は、愛知県新城市の大通寺に移されている宮本幸枝・熊谷あづさ 『日本の妖怪の謎と不思議』 学習研究社、2007年、65頁。ISBN 4-056-04760-X。



    主な伝承

    愛知県の郷土研究社が1916年に出版した『郷土研究』にはおとら狐に取り憑かれた人間のさまざまな様子が伝承として記録されている。

  • 老人がおとら狐に取り憑かれた。歯が無いのに生魚をバリバリと食べていた。

  • 寝たきりの老婆におとら狐が取り憑き、一晩中踊り明かした翌朝に亡くなった。

  • 病気療養をしていた母におとら狐が取り憑いた。排泄物には与えていない物が入っていた。また、同書にはおとら狐を取り除く方法として、陰陽師や修験者による祈祷か、秋葉山の奥に住む山住様(御犬様)を迎えてくると良いと記されている。



    脚注




    外部リンク


  • 国際日本文化研究センター怪異・妖怪伝承データベース

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    2008年06月16日

    妖怪[木霊]

    妖怪事典木霊



    『画図百鬼夜行』木霊(こだま、木魂)は樹木に宿る精霊、またはその宿った樹木自体を指していう語。前者は山中を敏捷に、自在に駆け回るとされる。山や谷で音が反射して遅れて聞こえる現象である山彦(やまびこ)は、この精霊のしわざであるともされ、木霊とも呼ばれる。後者は外見はごく普通の樹木であるが、切り倒そうとすると祟られるとか、神通力に似た不思議な力を有するとされる。これらの木霊が宿る木というのはその土地の古老が代々語り継ぎ、守るものであり、また、木霊の宿る木には決まった種類があるともいわれる。これらの樹木崇拝は、北ヨーロッパ|北欧諸国をはじめとする他の国々にも多くみられる。



    関連項目


  • キジムナー

  • 自然霊

  • 山神

  • 水神

  • 荒魂・和魂

  • 生気論


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