海難法師(かいなんほうし)とは、伊豆七島に伝わる幽霊の一種。水難事故で死亡した者の霊とされる。盥にのって沖からやって来て、その姿を見たものは同様の死に様を晒すと言われている。
起源
海難法師の事の起こりは江戸時代、1628年|寛永5年のことである。豊島忠松(とよしまただまつ)という悪代官が島民たちを苦しめてみなに憎まれていたという。そこで島の人々は忠松を殺すために、わざと海が荒れる日を選んで島巡りをするように勧めたのである。まんまと罠にはまった忠松は、言われた通りに海に出て波に呑まれて死んでしまった。それ以来、毎年旧暦の1月24日になると忠松の霊が海難法師となって島々を巡るのだという。別伝では代官を殺そうとしたまでは同じだが、村の若者25人が暴風雨の夜にそれを決行し、船で逃亡した。しかし、かくまってくれる島や村はなく、さまよった挙句、1月24日に海難事故で全員が死亡した。村人に裏切られ、この世に恨みを残して死んだ怨霊が島々を巡るという。この25人の霊は日忌様(ひいみさま)と呼ばれ、伝承の発祥地とされる伊豆大島の泉津地区にはこの日忌様の祠が祀られている早川和樹編 『こぁ o$$OC - あなたの知らないニッポンの“恐怖”』 ミリオン出版、2008年、138-143頁。ISBN 4-813-02076-3。。伊豆七島では、1月24日は決して外に出てはならず、人々は震えながら家にこもっていなければならないのだという。その際には門口に籠をかぶせ、雨戸に柊やトベラの葉を刺し、普段は外にある便器も屋内に置いて用を足した。どうしても外出しなければならないときは、頭にトベラの葉をつけたという村上健司編著 『妖怪事典』 毎日新聞社、2000年、96頁。ISBN 4-620-31428-5。。ある者がこの伝承を小馬鹿にし、戸締りをせずに外出したところ、なぜか顔中血まみれになって帰ってきたという。また同様にこの迷信を信じない者が、家の戸に差したトベラを捨てて戸を開けたところ、なぜかその者は口がきけなくなり、精神病院に入院してしまったといわれる。また伊豆大島の泉津地区では、門井という旧家が海難法師の25人の霊を迎\xA1 $(F~$l$kLrL\$r;}$A!"$=$NLr$r。伊豆では1月24日は物忌みの日であり、人々は仕事を休んで家にこもる風習があったが、それが何者かが襲ってくる日という意味にとられ、海難法師の伝承が生まれたとの説もある。
脚注
関連項目

