2005年12月03日

妖怪[小野篁]

妖怪事典小野篁



小野篁(おののたかむら、延暦21年(802年) - 仁寿2年12月22日 (旧暦)|12月22日(853年2月3日))は、平安時代前期の学者、歌人。遣隋使を務めた小野妹子の子孫で、父は小野岑守。孫に三筆の一人小野道風がいる。

承和元年(834年)、遣唐使|遣唐副使に任ぜられるが、承和五年(838年)に正使藤原常嗣とのいさかいから、病気と称して職務を拒否したため、嵯峨上皇の怒りをかい隠岐に流された。2年後に許されて帰京。従三位参議に至った。篁には奇怪な伝説が多いが、その中でもっとも有名なものは、夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔|閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたというものである。京都市北区にある篁のものと伝えられる墓の隣には、紫式部のものと言われる墓があるが、これは愛欲を描いた咎で地獄に落とされた式部を、篁が閻魔大王にとりなしたという伝説に基づくものである。他に、宇治拾遺物語などには、嵯峨天皇の出した「『子』を十二個書いたものを読め」というなぞなぞを、見事に「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」と読み解いてみせた、という逸話も見える。
また篁を主人公とした物語として、異母妹との悲恋を描いた『篁物語』がある。




子孫

小野道風や小野小町が著名だが、武蔵七党の猪俣党などの武士は小野篁の子孫を称して、小野にちなんで、「野太郎」、「小野太」などと称している。また、それからの転化で「弥太郎」や「小弥太」と称した者もいる。



代表歌


  • わたの原八十島かけて漕ぎいでぬと人にはつげよあまのつり舟



    関連項目


  • 日本の中古文学史}}


    Wikipediaより引用 - Article - History - License:GFDL


  • posted by 龍 at 04:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 妖怪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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